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項目 内容
ID J3000035
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1596/09/05
和暦 文禄五年閏七月十三日
綱文 慶長元年閏七月十三日(一五九六・九・五)〔山城・摂津・和泉〕
書名 〔多賀郷土誌〕○愛媛県H16・4・1 多賀郷土誌委員会編・発行
本文
[未校訂](2) 慶長一九年(一六一四)の地震と津波
『同郷土史』(多賀村)厳島神社の項に「御津名(三津屋)は豊臣
秀吉公が四国を平定した頃に、周布郡井出郷北条邑(村)
から大革命ありて分村する。この地は丹生川保(壬生川
村)の隣で、人家多き所なるも慶長十九年十月二十五日
大震災の時、海上荒れて大波打ち寄せ来たりて田畑・人
家流出し、死者多く出てそれ以後は荒れ果てるを加藤嘉
明の命によって奉行徳本三郎兵衛が開墾する。又、寛永
二年(一六二五)三月十八日に再度震災あるも、人家も
追々に出来、回復して今は三津屋と呼ぶ」と記せられて
いる。これは、崩口川の河口近くに古三津屋(穂の木)
の地名があるが、そこが元の[御津名|みつや]であって、地震と津
波で壊滅したため、西の方の高い現在地に移転したので
はないだろうか。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 四ノ上
ページ 33
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村 多賀【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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