[未校訂](北伊豆地震と韮山)萩原貞夫著
(注、はしがき~五は略)
六 韮山における震災の状況
「北伊豆地震報告」(昭和六年一月三十一日発行、沼津
測候所)には町村役場からの報告をまとめた詳細な町村
字別被害が集録されている。韮山における被害状況は次
表の通りである。
韮山の罹災戸数は総戸数のおよそ八八%、住家の全壊
率はおよそ六〇%にも達している。
「地震研究所彙報九号一冊」(昭和六年三月、東大地震研
究所)の「北伊豆地震の計測学的研究」の項には、震度
大なる町村における字別潰住家百分率として、韮山四五、
山木七〇、多田七三、奈古谷三一、長崎九八、原木三八、
表一 韮山村の字別被害状況
総戸数
罹災戸数
総戸数に
対する百
分率
死亡
負傷
住家
全壊
全焼
流失
半壊
半焼
埋没
非住家
全壊
全焼
流失
半壊
半焼
藤村山
一、二四一
一、〇八八
八八
七七
三三二
七三八
四
〇
三四六
〇
〇
五四〇
二
〇
五一〇
〇
字別
韮山
山木
多田
奈古谷
長崎
原木
四日町
寺家
中條
南條
中
内中
土手和田
四三
一一九
九四
一六八
四二
一五五
一三七
八〇
三三
一五四
一二三
二一
七二
四三
一一九
九四
一〇五
四一
九九
一三七
七八
三三
一三〇
一一七
二一
七一
一〇〇
一〇〇
一〇〇
六三
九八
六四
一〇〇
九八
一〇〇
八四
九五
一〇〇
九九
一
八
二
四
二
四
七
三
四
二四
一一
一
六
三二
三九
三六
六
八
一四
一九
三
一五
九二
三二
九
二六
一八
八三
五七
五二
四一
五九
八七
三八
二三
一二九
八九
一九
四三
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
二五
三六
三七
五三
〇
四〇
四八
四〇
一〇
一
二六
二
二八
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
一五
六三
二二
七九
一九
三四
四三
六
二七
四六
一一〇
九
六七
〇
〇
〇
〇
〇
〇
一
〇
〇
〇
一
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
二〇
二七
四五
六七
一一
三八
四五
六五
二〇
一五
一一六
九
三二
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
〇
昭和六年一月三十一日
静岡県沼津測候所発行
北伊豆地震報告より転載
四日町六六、寺家四八、中条七〇、南条八三、中七二、
中内九〇、土手和田六〇、と記される。潰住家率の高い
のが、長崎、南条、内中で、比較的潰住家率の低いのが、
韮山、奈古谷、原木、寺家などである。
こうしたことから大震災後耐震性を留意した建築様式
へと移行した。例えば柱や梁、桁、筋交い、などの組立
方式の改良、あるいは瓦屋根が少なくなるなど耐震を重
視するようになった。
また中央気象台の北伊豆地震概報や験震時報による
と、「韮山は家屋の被害は甚だしいけれども道路、田畑等
に亀裂を認めない」としながらも「丹那盆地から南行、
玄岳の西側を通って浮橋に向かう線上には著しい亀裂が
連なっている。池の山付近は特に著しい。玄岳と韮山と
の中間を南北に走る谷合いには幅約一町半(約一六〇㍍)
長さ数町にわたり二~三尺(約六〇~九〇㌢)陥没して
いる様に見受けられる」と記される。
数多くの震災状況のなかでよく知られているものの一
つに、四日町八坂神社の欅の大木が途中で折れたことゝ、
石燈籠が二方に分かれて転倒したことがあげられる。記
録によると「韮山村四日町の八坂神社の御神木なる欅の
大木は十㍍も上方にて震動の為振切られ落下せり、落下
せる部分を見るに直径三十㌢余あり」。また「八坂神社境
内の石燈籠八基の中、東面して建てたもの二基は石垣上
にありて東方に倒れ、他の六基は皆南方へ転倒した。」と
ある。