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項目 内容
ID J2902239
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1909/08/14
和暦 明治四十二年八月十四日
綱文 明治四十二年八月十四日(一九〇九)〔虎姫・長浜〕
書名 〔長浜市史第一巻〕○滋賀県長浜市H8・12・5 長浜市役所発行
本文
[未校訂]約一〇〇年前に湖北地域でもマグニチュード六・八の
姉川地震([江濃|ごうのう]地震)が発生した。明治四十二年(一九
○九)八月十四日午後三時三一分に直下型地震が襲い、
滋賀県内では死者三五人、負傷者六四三人、全半壊家屋
は三三〇〇戸に達した。被害は姉川中下流の平野で最も
大きく、東方の岐阜県関ヶ原町や池田町でも被害が発生
した。将来の直下型地震への対処・対策を考える上で、
この地震による被害発生の特徴を理解しておくことは大
切であろう。
 震源地の正確な決定は困難だが、長浜市街地の北東一
~二キロメートルの平野の地下と推定する説が有力だ。
しかしこの付近には活断層の存在を示す地形はみられな
い。北北西方向の柳ヶ瀬断層の南延長部にあたり、平野
の地下に埋没した活断層が活動した可能性が高い。
 湖北地域では震度六の激しい地震動がおそった。この
ため、家屋を中心に多大の被害が生じたが、その分布に
は著しい地域性がみられた。家屋倒壊率が四〇パーセン
トをこえる地域は姉川・高時川合流点付近から草野川の
低地にかけて、楕円状の分布を示す(図一六)。虎姫町付
図16 姉川地震の家屋倒壊率 明治42年
(1909)に襲った姉川地震による湖北地域
の被害は大きかった。図中の×印は震源
地で、数字は地域ごとの家屋倒壊率をあ
らわしている。
近の被害は顕著で、曽根、[大寺|だいじ]、田、五の集落では六〇
パーセント以上の倒壊率を示した。一方、震源地の直上
にあたる長浜市での被害は少なかった。これ地下の地盤
条件に支配されていることを示している。被害の顕著な
地域では、地表下三~五メートルまで軟弱な粘土層から
なるか、表層の砂礫層より下位に厚さ五メートル以上の
粘土層が分布する地区に一致している。
 姉川や天野川の流量は二倍近くにも増水し、井戸の水
位では上昇・下降したもの両方がある。姉川の河口では、
[噴砂|ふんさ]丘が六個形成され、液状化が生じたことを示してい
る。また、波高一・八メートルの波が押し寄せ(津波か)、
河口部の約二〇メートルの部分が湖中へ滑り落ちた。
 以上の経験から、活断層の位置と性質、地下五メート
ル前後までの地盤条件と軟弱層の分布と厚さ、湖岸域で
の液状化の可能性、などを調査する必要がある。地震は
自然現象であって発生を阻止することはできない。しか
し、震災は社会現象であって、適切な対策や処置をとる
ことによってかなりの程度まで軽減できることを認識
し、日常的な準備をとっておきたい。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 792
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 長浜【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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