[未校訂]明治二十四年(一八九一)岐阜県西部を震源とする[濃|のう]
[尾|び]地震(マグニチュード八と推定)は、八月(ママ)二十八日午
前六時三十七分ごろ発生した。この長浜市域も震源に近
いため、大きな被害を受けた。滋賀県での被害のもっと
もひどい所は、彦根と長浜の市街であり、長浜では死傷
者が出たが、長浜公立病院長桐田謙吉は長浜町一五人の
負傷者を一手に引受け、私費で治療を行い、また町内の
有志者は倒壊家屋の後片付けを行った。この時の長浜市
域の被害状況は、表一〇のようになるが、主なところは、
長浜駅の「プラットホーム」が倒壊したり、長浜学校(長
浜小学校の前身)の三階建ての建物(洋風建築・旧[開知|かいち]
学校校舎)が、「内部造作ノ損所[甚|はなはだ]シク及内外ノ壁亀裂
脱落数ヶ所アリ」という被害状況であった。長浜町に設置
された消防組員五三人は、招集を受けて、倒壊家屋の救
援・死傷者救出や後片付けにあたった「滋賀県保○存文書」この震災
の視察に、東園[侍従|じじゆう]が十一月二十一日に長浜町へ訪れて
いる。