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項目 内容
ID J2901910
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1891/10/28
和暦 明治二十四年十月二十八日
綱文 明治二十四年十月二十八日(一八九一)〔濃尾〕
書名 〔長浜市史第四巻〕○滋賀県長浜市H12・3・31 長浜市役所発行
本文
[未校訂]明治二十四年(一八九一)岐阜県西部を震源とする[濃|のう]
[尾|び]地震(マグニチュード八と推定)は、八月(ママ)二十八日午
前六時三十七分ごろ発生した。この長浜市域も震源に近
いため、大きな被害を受けた。滋賀県での被害のもっと
もひどい所は、彦根と長浜の市街であり、長浜では死傷
者が出たが、長浜公立病院長桐田謙吉は長浜町一五人の
負傷者を一手に引受け、私費で治療を行い、また町内の
有志者は倒壊家屋の後片付けを行った。この時の長浜市
域の被害状況は、表一〇のようになるが、主なところは、
長浜駅の「プラットホーム」が倒壊したり、長浜学校(長
浜小学校の前身)の三階建ての建物(洋風建築・旧[開知|かいち]
学校校舎)が、「内部造作ノ損所[甚|はなはだ]シク及内外ノ壁亀裂
脱落数ヶ所アリ」という被害状況であった。長浜町に設置
された消防組員五三人は、招集を受けて、倒壊家屋の救
援・死傷者救出や後片付けにあたった「滋賀県保○存文書」この震災
の視察に、東園[侍従|じじゆう]が十一月二十一日に長浜町へ訪れて
いる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 732
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 長浜【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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