[未校訂](明治十二年七月六日の頃)
「地震の経験はおありですか、オクサマ」と私は聞いた。
「地震ですか、ありますとも。コレラのつい一年前に大地
震があって、江戸のほとんどがやられましたよ」
「どうか聞かせて下さい」
「前にも申しましたように、主人は仕事で長崎におりまし
た。その頃軍艦奉行をしておりましたのでよく家を空け
ましてね。小さい子供達と女中の面倒をみなくてはなり
ませんでした。一日の夜の十時頃で、そろそろ寝ようか
という時、家がミシミシミシと軽く揺れだしました。『あ
あ、地震だわ。すぐ終るでしょう』と思った途端、地面
の中で遠くの雷が聞こえるような音がして、大揺れが次
から次へと来て、瓦が落ち障子が倒れ二階がグラリと傾
きました。それは恐ろしくて、三人の子供達と老母をか
かえて、近くの竹薮に逃げ込みました。竹の根はからみ
合っているので地割れに呑まれることがないのです。真
暗なおそろしく寒い夜で、空は家の焼ける真赤なほのお
で明るくなっていました。あたりは人の悲鳴と火の粉が
飛びかい、余震が続き地鳴りが絶えずして、これが明方
まで続きました。明るくなってようやく歩けるようにな
って見てみると、一夜にして江戸の街はメチャメチャで
した。家の者は全部無事でしたが、向いの女の子は落ち
てきたものの下敷になって死にました。他にもひどいこ
とがいっぱい起きました。老母と娘が住んでいたある家
では、地震が始まると、戸口から飛び出して、母親は逃
げられたのですが、落ちてきた梁で娘は動けなくなって
しまったのです。娘のいないことに気付いた母親が戻っ
てみると、火の手があがり、手のほどこしようもないの
です。哀れな老婆は気が狂ったように、通りがかりの誰
彼に『タスケ、タスケ』と叫びました。親切な近所の人
達が、自分も困っているところを、助けてやろうとしま
したが無駄でした。娘はそれをみると『逃げて下さい。
たすからないんですから。私のために危いことはしない
で。お母さん、どうぞ逃げて。これも定めです。後生で
すからみなさんも逃げて下さい。無駄なことです』と言
いました。火の手が近づき、健気な娘が母に逃げるよう
にいう声が聞こえてきました。老母は気も狂わんばかり
になって走り回り『誰かかわいいおはなを助けて下さい。
ああ南無阿弥陀仏、どうか娘をお助け下さい』と叫んで
ましたが、誰も来ず、とうとう通行人が哀れんで、手近
の布団をつかんで、仰向けになった娘の顔に投げて、息
の根をとめてやったのです。こんなことがたくさん起り
ました。家の者が全部たすかってこんなありがたいこと
はありません」
老夫人が話好きなのをみて、水をむけると、他にも面
白い話をして下さった。東京の大部分を水浸しにし、特
に下町では床上まで水が来て、神棚まで届いたところも
あるという津波のことや、勝家が吹き飛んでしまった嵐
のことなどもうかがった。
「はい、この部屋でしたよ。三人の子供達をかかえ、傘を
さして、いつ死ぬかと思いました」と夫人は部屋を見回
しながらおっしゃった。