[未校訂]此年十月二日夜四ツ時少前、江戸中大地震、此日ハ朝曇
り昼頃より小雨ふり、時成らざる暖気にてタ刻より晴れ
たり、此頃幕府にて深川[越中島|えっちゅうじま]へ新に調練場を開設する
に付、此日着手の沙汰有るにより、我また是へ従事せん
と、浦吉と言者を供に連れ、昼前より越中島へ行、帰り
夜に入りし故、途中にて夕飯を食し、芝田町の我か路じ
口に入らんとせし時、天能く晴、星輝きゐたりしが、俄
にざわ〳〵〳〵と震動起りしゆへ、何事成るらんと思ふ、
一度に震強く成り、大地震と知り、忽に我か家へ欠入ら
んとするに、屋根上より瓦壁土ともがら〳〵と落来り、
足も確と踏止る事あたはず、我妻子等路道口の内に声す
る故、我表口より、今往来へ逃るハ危し、早く海辺の方
へ逃けよ〳〵と追返したり、其内に往来西側の家ハ大半
前へ打倒れ、早其間にハ諸所に火事起る、少く震ひ和ら
きたる故に、我家へ欠付見るに、不思議に少も損ぜす、
家族も皆ふ〔無〕事成り、尤家ハ海岸にて、庭地広く世間
より少シ隔り、座敷向其他共平家造り成、然れども引続
き幾度となく震り返すゆへ、常吉・七五郎を始め多く居
りし人夫共に言付、畳を明地の広場へ多く敷並べ、上へ
天幕を張り、我か家族皆是に居らしめ、近所の者をも是
へ招きて居らしめ、夫より汐留母の方、且また本船町の
父母の方も如何有りしか心元〔許〕なきゆへ、我ハ諸事を
人夫共に申付置て、直に汐留へ欠付行途中、家屋土蔵共
悉く崩れ、諸方数ケ所に火事起り、汐留仙台屋敷前抔の
地ハ、長延に裂け割れたり、汐留母の方も幸に格別の損
じ所無し、母と悴大太郎・おたけ及新助・下女共川岸の
薪場へ立退き居りたり、無事を見て大に安堵し、直にま
た本舟町へ行かんとせしを、母か申に此夜舟町の父参ら
れ、暫く居て帰られ三十間堀行たる時、此地震、直にま
た引返り此方の不〔無〕事を見て安堵いたされ、直にまた
帰宅したれば、父ハ安体なれど家は如何成りしかといふ、
依て直に本船町へ欠付見るに、是も幸に家も無事、父母
幷子太郎・ミの共、皆ふ事故互に悦、直に又引返り、汐
留の母と大太郎をつれ田町宅へ帰り、一まづ安堵致した
り、此時も未だ諸方の火事ハ盛んなりき、
然る所へ、薩州の上屋敷より大至急の呼び状来る、依て
直に出頭せし処、薩州家拾ケ所程の屋敷何れも此地震に
て破損の内、最も大破ハ上屋敷故、作事掛役人奉行大野
四郎右衛門・森川孫太夫を始め一同火事装束にて仮役所
に居、我等の外にも作事出入用達共不残呼集め申渡すハ、
斯の如くの有様ニ付、第一に外構の煉塀の崩を取片付、
四町四方へ高さ弐間の板囲ひ致す事急務故に、材木商中
へハ、板類幷長丸太所持分不残納むべしとの事、我等に
ハ人夫揃ふ限り何百人にても直に差出し申べしとの事ニ
付、請て立返り、何方も大混雑の中、諸方より人夫を集
め、之に手元の人夫を合て多人数未明に上屋敷へ出す、
夫より引続き莫大の営繕に及びたるに依り、巨額の用向
致したり、