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項目 内容
ID J2901088
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四~七日(一八五四・一二・二三~二六)〔五畿七道〕
書名 〔桜戸日記〕○徳島県美馬郡脇町上田美寿著、「阿波国上田美寿日記」H13・2・20 清文堂出版
本文
[未校訂](安政二年一月)
○十八日、朝高松の吉田儀左右衛門どの来りて、久しぶ
りの咄茂りし中に
宮脇御殿の左近様、霜月五日地震中に御城下市中家か
やりかけしハつママかを両方ゟしげく、町中通りがたき中
を廿人計の御ともにて、御自身法花経を御読遊ばし御
廻り遊バすに、御先案内の者小路抔はよけて通り筋計
りを御案内申せハ、いや〳〵と仰られ、御よび返し遊
ばし御廻り遊ばし、老人子供おち恐れ平臥すれハ、だ
いじないぞよ、こわい事ハないと仰られ、残らず御廻
り被遊しとの咄、御仁心の程有難き御事也、盃して留
けれ共今日帰り度故と五ツ頃帰り、行違ひに喜来の清
八来り火難にあいし咄聞
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 525
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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