[未校訂](安政二年一月)
○十八日、朝高松の吉田儀左右衛門どの来りて、久しぶ
りの咄茂りし中に
宮脇御殿の左近様、霜月五日地震中に御城下市中家か
やりかけしハつママかを両方ゟしげく、町中通りがたき中
を廿人計の御ともにて、御自身法花経を御読遊ばし御
廻り遊バすに、御先案内の者小路抔はよけて通り筋計
りを御案内申せハ、いや〳〵と仰られ、御よび返し遊
ばし御廻り遊ばし、老人子供おち恐れ平臥すれハ、だ
いじないぞよ、こわい事ハないと仰られ、残らず御廻
り被遊しとの咄、御仁心の程有難き御事也、盃して留
けれ共今日帰り度故と五ツ頃帰り、行違ひに喜来の清
八来り火難にあいし咄聞