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項目 内容
ID J2901026
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔服部川原法華経塔碑文〕○三重県上野市大矢良哲先生提供
本文
[未校訂]嘉永七年六月十五の暁、大地震によりて家たふれ、横死
者五百九拾五人におよへるを、國君深くこれをあはれひ
給ひて、國民あまたの金米をたまはり、且死者追善のた
め、同年七月國内諸宗の寺院におほせて、此所において
大施餓鬼を行はせたまへり。その法会と君恩のありがた
きを群衆の諸人と共に感涙の袖をしぼりて、なき魂も世
にある人もかくまでの深き惠にうかはぬはなしとなんよ
めり。猶其跡に法華経八巻をおさめ、塔をたてゝ供養を
なし一周忌を營し也。
功徳主上行寺義孝院日長敬白
安政二乙卯六月 同志 廣岡文四郎保興
森川六右衛門吉比
橋井亦兵衛定祥
廣岡文四郎保惠
同志補助 菊輪茂助好之
福田彦平保廣
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 459
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 上野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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