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項目 内容
ID J2900849
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔信濃・越後〕
書名 〔成就院日記〕京都市東山区清水二丁目清水寺清水寺文書、同寺蔵、No.198-1
本文
[未校訂](弘化四年四月七日の条)
一当月ニ入追〻風説ニ信州善光寺并近辺先月廿四日夜四ツ
時大地震ニ而善光寺ハ本堂大門坊三ヶ所相倒候町家等不
残焼失死人等数不知尤善光寺開帳中多人数入込有之故
誠ニ以数千之死人之由尤丹波嶋追分いなり山善光寺共
宿々町家悉く轉倒七分通りも焼失之由
丹波川上之方山崩レ水八方へ散乱いたし川水流レ下リ
不申何分四里斗り之間大荒ニ而家建ハ勿論人畜共共如
何相成哉相分り不申由いろ〳〵凶変承伝申候処□実事
ニ候事誠ニ大変事也
右ハ諸国ゟ参詣入込之人数故当所ゟも参詣之方有之追
〻飛脚等参り候趣相承り日〻いろ〳〵噂及聞申儘書記
申事
但し先日廿四日夜当所も少しハ地震在之也
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 311
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 東山【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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