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項目 内容
ID J2900848
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔信濃・越後〕
書名 〔控帳〕天理市 西川秀男家文書 同家蔵
本文
[未校訂]信劦よ里書翰之写
三月廿四日亥ノ上刻より大地震ニ而上田宿町方家潰れ□(ムシ)
ことことく家ゆかミ大ニ損し候夫ゟ岩鼻と申処岩石往来
へころひ落右脇道ニ鼡宿と申所家十五軒つぶれ清水中條
家三軒潰れ別処温泉崩れ止リぬくミ無之又柳之宿戸倉宿
矢代宿家数多崩れ大地さけ深さはかりかたく泥沙吹出す
事おひたゞしく篠追分丹波嶋稲荷山右同断不残家崩れ又
川中嶋右同断 猶又善光寺近辺ハ人家大キニ損し其上出火
ニ而家多く焼失いたしされども御本堂并ニ山門寺内ニ而ハ少
しもいかみ無之候由又松代紺屋町馬喰町木町残らす家々
大損し往来筋分かりかたく相成怪家人おひだゝしく牛馬
数多損し尚又丹波嶋川水さつはり無之やう相成同所川上
ニ而美濃路橋と申上ミ手ニ而両岸より山押出し川水せきとめ
にわかに洪水と相なり山中之人家三十ヶ村余流レ人民大ニ
損し松代領一面ニ志(死カ)ノ海となリ此水落口無之候付又々丹波
嶋川水テ(ママ、干カ)川と相成何時出水ハ(カ)も難斗上田辺ゟ中野善光寺
松本之あたり皆々居宅ニ住事をあんじ山□又は脇外の田
畑等へ野宿いたし候由尤右丹波嶋川筋の人家何時出水も
難斗皆々其心得有之由前代未聞のこと也然とも追々しづ
まり是ひとつに善光寺如来の御竒瑞ならんと諸人安堵の
思ひをなしけるとなん
但し本堂壱箇所大門壱ヶ所本坊壱ヶ所〆三ヶ所焼残り其
外僧坊六十ヶ寺余不残焼失相成候由
町家焼失家数不知人数凡六千人余死去
右之通申来候ニ付其写置候甚々珍事なり〳〵〳〵
尤当年は善光寺御開帳と申事ニ御座候
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 三
ページ 311
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村 天理【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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