[未校訂]泉州堺津波之絵図 一枚 一八五四年(嘉永七)
当館蔵
一八五四年十一月の四日朝と五日夕に、太平洋岸を中
心に広い範囲で大地震が起こり、堺も被害を受けた(中
井正弘「堺・大浜の安政大地震碑とカワラ版」《大阪春秋》
七八号)。四日の東海地震では、ペリー(アメリカ)の後
を追うように下田に入港したプチャーチン(ロシア)の
乗艦ディアナ号が大破沈没した。大坂が大きな被害を受
けた五日夕の南海地震では、この図に記されたように堺
の海岸部も津波の被害が大きかった。十一月二十七日に
は安政と改元されたが、翌年の安政二年十月には、関東
地方に直下型の地震があり江戸に大きな被害をもたらし
た。いわゆる安政の大地震である。一八五三年六月の黒
船来航からの三年余りの間に、江戸を中心に大勢の人々
泉州堺津波之絵図1854年
を巻き込んだ事件が連続したため、それに関する大量の
瓦版が刷られた。
嘉永七寅十一月五日酉ノ上刻」より大地震中ニ津
波来て市中」殊之外驚キ兵庫沖より風吹キ」来て一
面之とろ水ニ成大船」小船ニ至迄一時ニ川中へ入込
橋々」塞突落怪我人死人夥敷」何れも水入白海之如
候殊ニ前代」未聞之騒動大方ならず」其節荒増を刻
ス」