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項目 内容
ID J2800838
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/07/09
和暦 嘉永七年六月十五日
綱文 安政元年六月十五日(一八五四・七・九)〔伊賀・伊勢・大和・山城・近江・河内〕
書名 〔新修石部町史 通史篇〕『新修石部町史』編さん委員会H1・3・31 石部町役場
本文
[未校訂] また嘉永七年(安政元年・一八五四)六月十五日暁[丑|うし]
刻(午前二時ごろ)の大地震は、潰家八五軒をはじめ、
宿の全家屋が何らかの被害を受け、膳所では余震が続き
一五日間藩主が仮屋に居を移すほどに危険な状態が続い
た。
(注、小島本陣土蔵棟札の写真は次頁)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 256
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 石部【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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