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項目 内容
ID J2800755
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信濃・西越後〕
書名 〔万留帳〕○大野市下舌安川開仏家文書 □ 安川義彦蔵
本文
[未校訂]一弘化四年丁未三月廿三日夜四ツ時信刕大地震ニ而善光
寺町不残出火町人弐十(ママ)人焼死旅人は数不知相残り候者
は本堂三門護摩堂斗大勧進之宮壱軒相残申候尤其夜地
震ニ而善光寺ゟ五里程川上ニ而山をゆり潰シ丹波川を廿
日之間堰□候ニ付其川上山中□大海之如し然るに
四月十三日大雨ニ而右之堰切川下拾八ヶ村押流し丹波
嶋の宿も過半流れ追分迠水あふれ家の中へ土砂四五尺
斗も押詰夫ゟ飯山之城下江込入御城迠押流川下ハ段々
押流し越後高田今町辺迠大□痛ミ申候凢御田地九万石
斗大破ニ相成申候尚又其時荷稲(ママ)山の宿も不残出火但し
稲荷山の宿は小家□□斗上の入口ニ焼残り土蔵五ツ相
残り申候尤善光寺の御堂は痛ミ候ニ付七八丁裏方麦畑
之中ニ而開帳有之候其借堂之道へ茶屋廿軒斗も有之候
□五月廿一日夜柏屋の借小屋ニ泊り廿二日朝開帳を拜
ミ夫ゟ戸倉迠行泊る其前後も一日ニ七度も地震ゆり恐
敷事限りなし是前代未聞之事共也尚又死人之骨ハ銘々
ニ箱を以灰の中ゟより分善光寺の御堂の上りに右手の
方に穴を堀是を納む
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 二
ページ 246
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 福井
市区町村 大野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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