[未校訂]歴史地震の記録
今津町域は過去に何度も激しい地震に見舞われたよう
で、それらのうち幾つかは、記録にも残されている。比
叡山の建物が倒壊し(『園太暦』)、湖水が北へ流れたとい
う[元暦|げんりやく]二年(一一八五)の地震(『山槐記』)や、[竹生島|ちくぶしま]
[宝厳寺奥院|ほうごんじおくのいん]が崩れた[正中|しょうちゅう]二年(一三二五)の地震(『続
史愚抄』)などは、いずれもかなり大きな被害が出たよう
である。また、[元弘|げんこう]元年(一三三一)七月の紀伊水道を
震源にした地震は、「大地しんにて山々くずれて川水二日
とまりて、三日ありて後水山のごとくきたり、田地をな
(が)し川筋放埒になり」という記録を残し(「大江保記
録写」『日置神社文書』)、河上庄をはじめとして大きな被
害をもたらしたことをうかがわせる。