[未校訂]また『日蓮宗宗学全書―上聖部』の日朝上人(一四二二
~一五〇〇)の伝記の中に「富士下方滝泉寺は、二世日
向上人有縁の霊跡なり。かつて震災の為廃絶に帰したり
しが、上人(日朝)は深くこれを嘆き、明応年中(一四
九二~一五〇一)檀(檀家)・岩越氏の外護を得て、府中
(現静岡市)に感応寺を創め滝泉寺の復興に充つ」と書
かれていた。こゝにも元弘富士川地震によって滝泉寺が
壊滅したこと、およびその寺院が現在静岡市内にある感
応寺の創建という形で復興したとされた事情が明記され
ている。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
---|---|
ID | J2800024 |
西暦(綱文) (ユリウス暦) |
1331/08/11 |
西暦(綱文) (先発グレゴリオ暦) |
1331/08/19 |
和暦 | 元徳三年七月七日 |
綱文 | 元弘元年七月七日(一三三一・八・一九) |
書名 | 〔静岡県史 別編2 自然災害誌〕H8・3・25静岡県編・発行 |
本文 |
[未校訂]また『日蓮宗宗学全書―上聖部』の日朝上人(一四二二
~一五〇〇)の伝記の中に「富士下方滝泉寺は、二世日 向上人有縁の霊跡なり。かつて震災の為廃絶に帰したり しが、上人(日朝)は深くこれを嘆き、明応年中(一四 九二~一五〇一)檀(檀家)・岩越氏の外護を得て、府中 (現静岡市)に感応寺を創め滝泉寺の復興に充つ」と書 かれていた。こゝにも元弘富士川地震によって滝泉寺が 壊滅したこと、およびその寺院が現在静岡市内にある感 応寺の創建という形で復興したとされた事情が明記され ている。 |
出典 | 日本の歴史地震史料 拾遺 二 |
ページ | 6 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 静岡 |
市区町村 |
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