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項目 内容
ID J2700886
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1946/12/21
和暦 昭和二十一年十二月二十一日
綱文 昭和二十一年十二月二十一日(一九四六・一二・二一)〔南海地震〕
書名 〔上那賀町誌〕上那賀町誌編纂委員会編S57・1・15 上那賀町発行
本文
[未校訂]三 南海大地震
 地震の被害については、昭和二十一年十二月二十一日早
朝発生した南海大地震で、本県下は甚大な被害を生じた。
この地震のため県下太平洋沿岸の被害は大きく、多くの死
者を出した。
南海道大地震被害 (『徳島県警察史』)
被害

死(不明)

住家
流失
全壊
半壊
床上
床下
堤防決
道決
橋流
船流
田畑
流失
浸水
木材浦
市郡
那賀

二七
二五
四七
一一八
一、八四四
一七四

一二

八三

九五四町
一、六八〇二
全県
二〇〇
二五七
四一三
五九八
九一一
三、四三五
一、〇六七
三九
一七
一一
三三〇
七八
一、七二一

 昭和二十一年十二月二十一日発生の南海大地震では丹生谷線の各所崩かい、特に那賀川北岸被害大、平谷~川口に通ずる県道、交
通杜絶二か月に達した。相生町花瀬向かいの道路決壊特に被害大であった。食糧事情最悪の時、弁当持ちで部落近辺からも勤労奉仕
が出た。
 午前四時一九分頃潮岬の南五〇㌖くらいの所(一三五・
六E、三三・〇N)に起こった大地震、(最大震度Ⅳ)津波に
よって中部より九州まで被害を出し死者一、三六二人、全
潰家一一、五〇六戸余震も驚くほどの多数に上った。なお
震後地盤変動が発見され、四国では室戸岬の最南端部が隆
起したほか全般的に沈降した。
 本県では海岸の震度V(著しい水平動で外に出ても立っ
て居られないほど、また地割れや建物の被害が出た)内陸
はⅥまた余震は月内に有感五五無感二三〇回ほどが観測
された。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 1039
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村

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