Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2700887
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1946/12/21
和暦 昭和二十一年十二月二十一日
綱文 昭和二十一年十二月二十一日(一九四六・一二・二一)〔南海地震〕
書名 〔徳島県災異誌〕S57・3・15徳島県
本文
[未校訂]一九四六 昭和二一 一二 二一 南海道大地震(津波)
四時十九分頃潮岬の南五〇キロ位の処(一三五・六E
三三・〇N)に起った大地震(最大震度Ⅵ)津波によって中
部より九州までに被害を出し死者一三六二、全潰家一一
五〇六戸、余震も驚くほどの多数に上った尚震後地盤変
動が発見され四国では室戸岬等の最南端部が隆起した外
全般的に沈降した[別項昭和25年地盤沈下の項参照]
本県では海岸の震度V(著しい水平動で外に出ても立っ
て居られない程、又地割れや建物の被害が出た)内陸はⅣ
又余震は月内に有感五五無感二三〇回程が観測された。
津浪状況 津波第一波の到着時間は計算で出したもの
(第1図)と大体あっているが多少早めに来た傾向があ
る。(注、図は省略)
(以下は現地の話)
橘町 津波が来るまで三〇分位の間があった。大風のよ
うなゴーゴーという音がして潮が押し寄せた前面が泡立
ち一~二尺の高さのものが後から後からと続いた一回目
のは石垣を越すか越さぬ程度、二〇分程して第二波が又
大風のような音を立て真黒な泥波で一番高く学校も浸水
した。あとは三〇分位の間隔で5回繰返した。津波の高
さ三・四m位
日和佐町 地震後二、三〇分で津波が来た三〇分間隔で
四回目のが最も大きかった(三回目とした話もある) 波
高三m
牟岐町 潮が上げるのに二〇分、引くのに二〇分程掛り
九時頃には終った。役場付近の家は大破し大きな船が四
雙堤の上に乗上げた。潮が街中に氾らんしたのは一回き
り、波高四・五mだった。
浅川村 伊勢田川橋(コンクリート製)は中央から東部が
二五㎝川上にずれ、水面上三・九mの欄干を越えた津波
は四・七mの高さであった、部落は殆ど浸水した。震後
一〇分程して津波がダブダブと押し寄せた三回目が最も
大きく沖合の出漁船は四㎞位の巨離の進退を繰返したそ
うである。
宍喰町 震後一〇分位に津波の第一波が来た一〇分位お
きに夜明けまでに九回来て大きいのは五回最大は三回目
だった波高四・五m
上記の波高を図にしたものは第2図である。
(注、図は省略)
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 1040
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 徳島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

検索時間: 0.001秒