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項目 内容
ID J2700885
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1946/12/21
和暦 昭和二十一年十二月二十一日
綱文 昭和二十一年十二月二十一日(一九四六・一二・二一)〔南海地震〕
書名 〔日和佐町史〕日和佐町史編纂委員会編S59・3・20 日和佐町発行
本文
[未校訂]四南海地震
 昭和二十一年十二月二十一日四時一九分ごろ、潮岬の
南五〇㌖くらいの海底に起こった南海地震(最大震度Ⅵ)
と津波によって、東海から九州にかけ大被害をうけ、死
者一、三六二名、全潰家屋一一、五〇六戸となり、四国
地方ではその上に室戸岬を除く全域に地盤沈下という災
害が加わった。各地の津波の最大波高を表6に、浸水域
を図16に示した。津波の様子について、橋本末一は「あ
のころはするめいかが、たくさんとれた。二十日の夜も
いか釣りに行ったが、妙に暖かくて気持ちが悪いくらい
であった。海から帰って寝ていると、大地震でびっくり、
揺れが納まってから、夫婦で金比羅山ヘ逃げた。厄除橋
は津波で押しあげられた船が衝突したので大破され、上
流の宝木まで押し流された。沖に残っていた漁師はキラ
図16海部郡浸水区域図
表6 南海地震の津波
最大波高m
野根 5.00
甲浦 5.00
宍喰 4.50
浅川 4.70
牟岐 5.00
最大波高m
日和佐 4.00
由岐 3.70
橘 3.40
徳島 2.00
串本 5.50
ッキラッと、すざましい光が
あちこちに走るのを、また飛
んでいた鷗が海に落ちるのを
見たそうだ。さらに津波の引
潮で流された船が、ふだんは
海面下で見えない岩に乗りあ
げて、毀われたりしたのも見
ている。夜が明けてしばらく
してから、流された船を探す
ために港口から平家岩付近に
行った。水浸しになった船が
たくさん漂っていた。平家岩のあたりには石や砂が噴き
あげられたように変色していた。船をみつけて、港口ま
で帰ったとき、引潮が強くて動力船であったのに、入る
ことができなかった。ところがこみ潮になると弁財天の
近くまでひとりでに走った。」と述ベている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 1038
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 徳島
市区町村 日和佐【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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