[未校訂](注、「新収」第四巻二三三頁〔落葉搔〕と重複する。次
の一点のみ掲げる)
文化元年子之六月四日の夜四つ時
大地震大変之覚書
一酒田御城代(ママ)御本丸惣つぶれ并家中不申及天守屋(ママ)蔵残る
御町奉行惣つぶれ
一酒田本間様惣つぶれ長屋残る土蔵三十六痛み十人町火
事人死す
一酒田内町通り筑後町ゟ浜野町まて惣つぶれ町中土蔵痛
み三千二百余り痛み五十余り死す
一鵜渡河原町中九尺余り大ひゞわれ水わき出る大水 い
もり山大ひヾわれ西河原土手皆地にめり込
一四ツ奥(ママ)屋向畑二十表渡り程のまゝになる其近処大ひ
ひざ(わカ)りより水涌出る
一大田新田分田地一面に泥を蒙る くろ艸共に青きもの
なし人怪我なし
一平田郷横代手蔵田布目返(ママ)より下は惣潰れ漆曽根組十三
ケ村に而七百三十軒つぶれ其外半痛小痛みあり人二十
人程死
一荒瀬郷島田星川村辺より下は惣つぶれ大久保村立ぬき
脇の高地に居宅市神藤塚東野村は家地に二三尺めり込
組中人三十人死す
一遊佐郷岩寺石鳥居さんざんに成る寺無難落野目村小松
村辺より下は惣潰れ藤先近処山すりくづれ福浦川に生
木ころび川水滞田畑一面に押し上る まりこ村近処
のま(沼カ)に成る皆山に逃る宮内外野村計に而人四十人程死
す其外馬多く死す御奉行定詰□組中百五十人程死
一六日の晩はつなみの風聞ありて庄内中皆家内不残山に
逃る無難に而翌日帰る
一福浦大火塩越町中あら〳〵潰れ人死す
一きさかた岡に成る名所無し勘満寺地に二三尺めり込坊
主死す
一川南惣無難
一従公儀籾米被下なり 家大小によらず
一家作金百姓一両三歩水呑二歩
一酒田御拝借五両三両宛なり
一大工手間三百文 丁(ママ)持五百文なり
右之通大変に御座候千年以来就ゾ覚来ル人無シ書置き持
たる家も無し依之末代家作之義は柱数ぬかずに立るべし
逃口用心代々油断すべからず 一命失ふなり
右大正十一年三月一日佐□又太郎氏持参の古書付より
写す