[未校訂]○「浜田地震(明治五年)―遥堪村では五町歩の地が一二
㍍も低くなり、荒木村では反対に高くなった。園村で
は一町三反歩の地が沈んだ。
出雲・簸川の死者一四人・出雲市地区(今市町ほか八村)
で全壊六〇戸、半壊・傾斜家屋多数。また、道路の亀
裂や水泥土の噴出などが各所にあり、人々は繰り返す
余震と伝わってくる流言に恐れおののき、竹やぶへ避
難したり、野外に小屋を建てて過ごした。」
(『出雲市誌』ほか)
その後、当地区でも母屋の二間間口に中柱を立てたり、
屋敷地内に竹を植えるなど地震に備えるようになった。