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項目 内容
ID J2700474
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1872/03/14
和暦 明治五年二月六日
綱文 明治五年二月六日(一八七二・三・一四)〔石見・安芸〕
書名 〔郷土誌 高浜〕郷土誌高浜編集委員会H5・3 郷土誌高浜運営委員会
本文
[未校訂]○「浜田地震(明治五年)―遥堪村では五町歩の地が一二
㍍も低くなり、荒木村では反対に高くなった。園村で
は一町三反歩の地が沈んだ。
出雲・簸川の死者一四人・出雲市地区(今市町ほか八村)
で全壊六〇戸、半壊・傾斜家屋多数。また、道路の亀
裂や水泥土の噴出などが各所にあり、人々は繰り返す
余震と伝わってくる流言に恐れおののき、竹やぶへ避
難したり、野外に小屋を建てて過ごした。」
(『出雲市誌』ほか)
 その後、当地区でも母屋の二間間口に中柱を立てたり、
屋敷地内に竹を植えるなど地震に備えるようになった。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 888
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 島根
市区町村 出雲【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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