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項目 内容
ID J2700441
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及びその周辺〕
書名 〔隨心院記録〕京都市山科区小野京都府立総合資料館寄託資料
本文
[未校訂](御番所日記)
(十月十日)
一亥刻比御里坊ゟ飛脚到来
今酉刻非蔵人口ゟ中御門殿御扣ニ而御達即刻東寺へ
御達シ有之候間
(奉書四ツ折)去二月江府地震於城内者雖可為無異府中舎屋破壊焼
失依之
宸襟不安速依佛陀霊験莫均國體四海静謐武運長久
萬民安穏之御祈
一七箇日之間一寺一同可抽丹誠之事到着次第御祈始
之事滿座翌日巻数献上之事
一附武家ゟ来状
江戸表去二日夜亥半刻地震之処
公方様本寿院様吹上御庭江御立退被遊御機嫌克還御
御城内御別条無之旨脇坂淡路守ゟ申越候ニ付此段相
達候 以上
十月十日
大久保大隅守
芝―様
都筑駿河守
右返事相済
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 848
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
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