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項目 内容
ID J2700394
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及びその周辺〕
書名 〔鷲宮町史 通史 中巻〕S61・9・10鷲宮町役場発行所
本文
[未校訂] さて安政二年の地震は、まずその状況を『武江年表』
でみると、十月二日「細雨時々降る、夜に至りて雨なく
天色もうろうたりしが、亥の二点(午後一〇時)大地俄に
[震|ふる]うことはなはだしく、[須臾|すゆ]にして[大厦|たいか]高しょうを[顚倒|てんとう]
し、倉りんを破壊せしめ、あまつさえその[傾|かた]むきたる家々
より火起こり、さかんに燃えあがりて黒煙天をかげらし、
多くの家屋資財を焼却す(中略)、およそこの災やくに[罹|かか]
りしともがら家族に離れて道路にさまよい、はなはだし
きは[圧|おし]に打たれ、炎に[焦|こが]れて生命を損ないしもの数ふる
にいとまあらず」とある。
 しかし当地域での被害は葛梅村御用留帳(『史料一』二
八一~三〇〇頁)に、安政二年十月二日関東大地震、「場
所により地割れ、そのうえ泥水込み上げ黒砂吹き出し、
民家悉く破れ、壁土そのほか[庇|ひさし]など損じ候処もこれあり
候得ども、住居[叶|かな]わず候[潰家|つぶれや]などはこれなく」とあるよ
うに、大きな被害はなかったようである。それでも幸手
領の被害書上によると、上川崎村惣戸数六二軒のうち、
人家・土蔵・物置潰屋同様一八棟、怪我人九名、外野村
家数三〇軒のうち土蔵・物置を含め潰屋同様一五棟、怪
我人一五名、八甫村一五二軒のうち同じく潰屋同様五八
棟、怪我人一八名、東大輪村六三軒のうち同じく潰屋同
様二八棟、怪我人なし、西大輪村九五軒のうち同じく潰
屋同様四八棟、怪我人一八名の被害がでたとある。
 またこのとき葛梅村や中妻村の領主黒田豊前守の上屋
敷も居宅・長屋・表門などが倒壊して、一部類焼し、即
死者は二一名を数えたという。このため葛梅・中妻・水
深・川口(ともに加須市)などの黒田領分村々は、復興資
金としての先納金を申し付けられているが、また村々で
は御見舞として縄二五五〇房を上納していた。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 724
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 埼玉
市区町村 鷲宮【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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