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項目 内容
ID J2700359
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔奈半利町史〕奈半利町史編纂委員会S61・10 奈半利町発行
本文
[未校訂]嘉永(安政)の大地震 この地震は、宝永地震後一四七
年を経た嘉永七年(一八五四)十一月五日申の下刻(一七
時頃)に突発した(通称この地震を安政の大地震といって
いるが、安政の改元は地震後の十一月二十七日につき本
書では嘉永の大地震とする)。この地震は四日、五日と二
回にわたっており、四日の震源地は遠州灘沖で、五日は
土佐沖と推測されている。この大地震が起こった十一月
五日の奈半利は、快晴の天気だったと伝えられるが、午
後五時ごろ大[震|ゆれ]が天地を揺さぶり、人々はあわてふため
いて山辺の薮地へ避難するが、強震のため歩行も困難で
あったという。人家は全く崩壊し、息つく間もなく大津
波が押し寄せ、奈半利平野は海水が浸水する大惨事とな
った。この地震による藩内の被害は、家屋の被害一万八
〇四二軒、小筒一一〇挺、船七七六艘、引網三七七帳、
亡所四カ所、土蔵納屋三九六〇棟、田地二五三一反、大
砲一五門、米一万七五八九石、鰹節一五万本、甘蔗二万
二〇〇〇貫、死者三七二人と言われている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 686
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村

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