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項目 内容
ID J2700352
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔東予市誌〕東予市史編さん委員会S62・10・1 東予市発行
本文
[未校訂]この安政の大地震について当地方の状況を示す記録を紹
介すると次のようなものがある。
ア 御神用並公私用向之日記
これは、小松高鴨神社神主鴨重徳の日記である。
 十一月四日五ツ時、地震しばらくゆる。五日七ツ
時、大地震ゆる。夜も五度ゆる。小松町の恵美須宮
鳥居倒れ、玉之江村南春宮の鳥居もなびく。六日も
終日ゆる。夜もゆる。七日少しゆる。一度は大分ゆ
る。八日もゆる。藩より当社に於て二夜三日御祈禱
仰付らる。九日も昼夜。十日も少しゆる。十一日夜
もゆる。十二日もゆる。十三日夜。十四、十五、十
六日夜。十六日大風・大雪。十七日大雪。此度地震
には御上を始め、御家中、在町も残らず小屋[住居|すまい]な
り。十七日の夜。十八日の八ツ時。十九日夜。廿日
夜。廿一日夜。廿二日夜。此度の大地震当家玄関、
二間床かまち落ち、かき落し候也。門の西脇、長屋
壱間半に四間半倒れ候也。廿三日夜。廿四日夜。廿
五日大雷鳴。廿六日夜ゆる。大雪。廿九日地震之儀
[決而|けっして][咄|はなし]ニ不相成候と御上より[御触|おふれ]有之候也。十
二月一日夕方ゆる。二日暮六ツ前と夜ゆる。三日四
ツ時ゆる。四日夜数度。五日夜少し。六日同上。七
日同上。八日同上、九日朝少し、十日九ツ時大ゆり、
夜二度ゆる。
 去る四日より今日迄三十六昼夜地震ゆり候。誠に
恐しき事に候。十一日今日はゆらず候。大方相治り
候也。
十二日夜五・六度ゆる。十三日五・六度ゆる。十四
日夜強く長く地震ゆる。十七日夜二度ゆる。二十日
夜ゆる。廿一、廿二日夜ゆる。廿三、廿四日夜ゆる。
廿五日門松立、当日より年号相改安政元年と被仰
出候。三十日先日より日々、夜々ゆる。当日朝五ツ
時大分強くゆる。翌年正月も大朔日より廿日迄日々
夜々地震ゆる也。
 この日記によって、当地方で寅年の大地震と呼ばれて
いる安政の大地震の約三か月間の様子がよく分かる。中
でも雪の降る寒期に、殿様を始め、御家中、在町の者も
みんな小屋住いをしていることや、藩から地震に関する
流言[蜚語|ひご]を禁止する通達を出していることなど興味深
い。
イ 広江村庄屋好右衛門の手記
十一月五日七ツ半地震。月を経て止まず。沖手は内堤
破損。庄屋宅傾倒。修理の際藩より良材を賜う。
ウ 福王院黒田家の『大地震控』
黒田家の土地台帳の中に『大地震控』として「嘉永六
年寅十一月五日昼七ツ半、七日朝四ツ時前代未聞の大地
震。
 当国に於ては、格別成事も無御座候得共其節に於ては、
地裂ケ、家、蔵、納屋抔押潰し、人馬多ク損シ候。大坂
表大津浪ニテ舟数多ク損シ…………。」とある。
エ 大新田村の堤防の被害
 十一月五日申の刻に大地震があって、海岸の堤防およ
び人家の破損はおびただしかった。海岸堤防の復旧工事
は、海岸御用掛として古田村庄屋芥川彦左衛門、壬生川
村大庄屋一色新平、大新田庄屋岡田貢、郷筒長尾岩八ら
が中心になって、十二月から用石は今治藩領比岐島のも
のを使用して着工した。総工費は玄米五五〇俵分であっ
て、大新田村年貢の約四か年分に当たり、当時の米価一
俵藩札六〇匁につき三三貫匁に当たったという。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 679
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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