[未校訂] 『広田村郷土誌』の「変災」の項に次のような記述が
ある。「本村内に[於|お]ける天変地異の著しきものを挙げれ
ば、第一に恐るべきは安政二年(一八五五)一一月より翌
年正月に至る地震、並びに安政四年八月二二日よリ二八
日に至る地震とす。この震動力たる往古は知らず、中古
における震災にして、縦横動に上下動を併発し、地盤の
亀裂を見るあり、傾斜地は[崩潰|ほうじゅく]して岩石を転落し、人畜
死傷少なからず。
[殊|こと]に本震力は[震|ふ]り始めより[震止|ふりどめ]に至る[迄|まで]、寸時も震動
静止の時はなく、農民は昼夜安眠する時なくして住家を
捨てて、一命を拾いたきものとて屋外に出でに一時小屋
を設け、隣保四、五戸同棲して飲食を共にせしこと七日
以上、一〇日間にも及び、この期間経過して徐々に震動
静止せしより、農民等は住家に立戻り常に復し[安堵|あんど]する
を得るに至る。此の震災被害家屋の破損、山崩れ、飲用
水、道の[変遷|へんせん]、河川水源の[変遷|へんせん]なりとす。