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項目 内容
ID J2700287
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔膳所領郡方日記〕滋賀県立図書館所蔵大津市史編さん室
本文
[未校訂](旧滋賀県総務課所蔵一九七)
(十一月)四日晴今朝五ッ半過地震永く地震
十一月五日 曇 夕七ッ半時地震強く永く震
一当(十一月七日)月五日地震ニ付新楽寺鐘楼堂倒れ申候此段御届申上
候 以上
十一月 別保(カ)村
庄屋高(カ)杉利兵衛
(旧滋賀県総務課所蔵一九八)
十一月廿一日晴
一当村甚四郎居宅去ル六月地震ニ而破損仕候得共其節相
願之義ニも無御座差相(カ)罷在候処猶又当十一月四日之地
震ニ而ゆり潰住居難相成候ニ付親類共も難渋共々無致方
右之趣願出候故無拠義ニ御座候而村庄屋□□ニ而致し四
百五十引貸遣し漸取□仕候間何卒御慈悲之上年賦銀ニ
而も御貸下ケ被為成下候ハヽ広大之御恩難有仕合奉存
候以上
橋木村願主甚四(カ)郎
十一月十八日 親るい伝蔵
右地震潰届も不致且取繕普請出来之□願出候儀ニ付□取用御□受御序ヘ□□□申上置肝煎丑□門
佐之助
庄屋喜兵衛
御代官磯田清左衛門
(十二月十五日)十五日 当賀 雪降 朝辰刻地震
(十二月十七日)乍恐奉願口上書
一去ル十一月四日地震ニ而私シ住宅殊ノ外及大破候此度取
繕造作仕度候ニ付往還通板囲之義御願奉申上候何卒右
願之通御聞済被為成下候ハヽ難有仕合奉存候已上
嘉永七寅年十二月 草津宿三丁目扇や又ヱ門
町年寄彦兵衛
同孫十郎
聞済
廿日
乍恐奉願上口上書
長サ弐丈六尺
長サ弐丈六尺
七尺
五尺
壱丈一尺
壱丈壱尺
八尺四寸
御領分大津御□所御分舎
(カ)五百井社
右者本社玉垣腕木門往古之普請ニ而(注、一行ノド読め
ず、したがってこの年六月十五日の地震か十一月四・
五日の地震によるか不明)地震ニ而及大破難捨置候間修
覆仕度所ニ寄柱等も取替申度此段御願奉申上候何卒右
願之通御聞済被為 成下候ハヽ一同難有仕合奉存候
嘉永七年寅十二月 下戸山村百姓惣代源右衛門
年寄儀 助
聞済申渡ス 庄屋勘左衛門
御代官□井専助
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 572
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
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