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項目 内容
ID J2700284
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔本堅田村諸色留帳〕○大津市本堅田大津市歴史博物館
本文
[未校訂]一同日 当御役所ゟ廻状
地震ニ付村々損所有之候ハヽ取調書付早々可差出候
江戸表へ届ニ相成候事ニ付村々不洩様可被相達候以

十一月五日 木村六右衛門
郡方中
右御達之趣村々承知仕取調之上書付を以可申出候届ニ
も不及向は其段村下江断書いたし早々順達留り村ゟ可
相返候以上
郡方
十一月五日
本堅田村始御領分村々□ニ廻る
一同日暮六ッ時□又々大地震昨日よりも□
一八日年貢帳拵候所□地震損所調共
一九日地震損所取調出来差上候同日□(暮カ)□付廻来ニ付木村
□右衛門□
大地震ニ付
損所合弐拾五ヶ所
内訳
半潰家 壱軒
壁落ゆかみ家 弐軒
家々ゆかみ 弐軒
壁落家 拾三軒
小□落家 壱軒
壁落土蔵 壱ヶ所
同小家 壱軒
棟落家 壱軒
庇落 壱軒

右者当四日辰中刻五日申中刻□(ヨコレ)大地震ニ付町々獵(カ)漁
師共損所取調書付奉□之通相違無御座候尤怪我人等
一切無御座候以上
嘉永七年 本堅田
寅十一月九日 年寄弐人
庄屋壱人
御役所
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 571
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 滋賀
市区町村 堅田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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