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項目 内容
ID J2700277
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔御薗村誌〕○三重県御薗村誌編纂室H1・5・31 御薗村
本文
[未校訂]安政一年
(一八五四)
○六月「大地震アリ、同一一
月四日 辰中刻頃(注=午
前八時ころ)
大地震其後度々ユル、右ニ
付海上津浪ニ而大湊築屋敷
ハ人家江打揚テ人流死モ七、
八人斗有之、御役所裏江も
浪打揚り、磯瀬迄も揚ル、
凡三尺斗モ堤江揚ル、翌五
日夕七ツ半頃(注=午後四
時ころ)ニ右之中壱ツユル、
其後夜ニ入リ、度々ユリ有
之、中川之横手江(注=現安
田耕氏宅西側)小屋を[中間|ちゅうげん]
ニ而建ル、凡七、八日斗住
居イタス事」
「奉行所同
心留書」
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 563
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 三重
市区町村 御薗【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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