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項目 内容
ID J2700254
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1854/12/23
和暦 嘉永七年十一月四日
綱文 安政元年十一月四日・五日・七日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕
書名 〔梓川村誌 歴史編〕梓川村誌編さん委員会編H6・3・31
本文
[未校訂] また安政元年(一八五四)には東海地方の地震の余波を
受けて松本辺でも被害が出ている。北大妻・寺家・下大
妻・立田・大久保の庄屋が御用のため十一月三日松本の
上野組御宿に泊まったところ、翌四日地震にあい、
みしみしと鳴り出し、これは地震といううちにますま
すゆれ申し候ところ、外へ出候えども、町屋のこと故
庭もせまく、若し、この八ケ年前善光寺辺の地震の如
く家潰れにでもこれあり候えば、あぶなきことと思い、
ますますゆれ候故神明小路へ飛び出し候えどもせまき
道故、いずれもはだしにて、うらの広場まで逃げ出し
申候……所々けむり上がり火事になると申すもみなわ
が家の用心、家財の持ち出し候ことのみ心を寄せ、早
速火事場に駆けつけ候者も少なく……、
(伴優家文書)
と「地震見聞記」は記している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 477
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 梓川【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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