[未校訂]一六月十四日夜より大地震、五畿内并伊賀、伊勢、尾張
辺より越前、紀刕、丹波、丹後、播刕、江刕、関東筋
大地震、伊賀上野中旬之事別而大荒于今地震不止、九月記之、
一壬七月朔日世直シとて雑煮ヲ喰し押餅抔沢山致し正月
のことく祝ふ、初瀬谷都而如斯同十五日古市下之外西
方角南山之手在々祭之通祝ふ、右ハ地震も格別ニ無之、
且近年之順気日本ニ而大和ハ拾番目豊作と言、山中・国
中ともなれて能出来多ク也、依之西手の在所寄祭りの
タンジリ抔出し祝ふ事甚し
一藤(安政二年四月)堂和泉守様分国城和居城共地震大荒ニ付直々見及ひ
普請等為致度旨御願済相成従関東御登り直ニ古市江御
出、(後略)