[未校訂]地震災害
弘化四未年(一八四七)五月「乍恐以書附
御届奉申上候」(蒲生、山岸正元家蔵)に
は、この年三月二十四日夜、信州善光寺大地震に遭遇し
て死亡したことが届け出されている。
犠牲者は、蒲生村善左衛門(四九歳)、喜左衛門倅、嘉
吉(二三歳)の二人である。彼らは前年九月、江戸表ヘ出
稼ぎに出て、この年三月二十日、江戸を発し、帰村途中
善光寺に参詣したその夜、大地震に遭い宿屋が焼失した
ときに逃げ遅れて焼死している。
この年の地震では、越後の松之山郷を含む頸城郡一帯
にもその被害のあったことが、他町村史に記されている。
弘化四未年七月「乍恐以書附奉願上候」(会沢、小野島
家蔵)によると、この大地震被害者ヘ、水原村市嶋徳治郎
ほか六人、下条村市嶋治郎吉ほか一人、顕聖寺村石田孫
左衛門ほか一六人が御救御手当金を拠出しており、松之
山郷六六か村もその御救金の配布を受け、里方に引き比
ベて格別の痛みも受けず、被害の程度は銘々で取り繕い
ができるほどなので、今後の凶年のための永久備金に積
み立てさせてほしいと願い出ている。
なお、同年七月の「奉差上御請証文之事」(小野島家)
では、金二〇〇両の金額が、松之山郷(北組、南組)ヘ下
賜されたことが分かる。
地震は、ほかにもたびたびあったと思うが、その編年
史をつくるほどには資料を発見できない。上に紹介する
資料は天保二卯年「乍恐以書付奉願上候」(若井朝晴家)
にあるもので、文化十一子年十一月に地震があって難渋、
その後も不時、変難が続き、天保元寅年正月下旬は、近
年無類の大雪で民家が押しつぶされて大惨事だったと記
している。