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項目 内容
ID J2700157
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔松代町史 上巻〕松代町史編纂委員会H1・3・31 松代町発行
本文
[未校訂]地震災害
弘化四未年(一八四七)五月「乍恐以書附
御届奉申上候」(蒲生、山岸正元家蔵)に
は、この年三月二十四日夜、信州善光寺大地震に遭遇し
て死亡したことが届け出されている。
 犠牲者は、蒲生村善左衛門(四九歳)、喜左衛門倅、嘉
吉(二三歳)の二人である。彼らは前年九月、江戸表ヘ出
稼ぎに出て、この年三月二十日、江戸を発し、帰村途中
善光寺に参詣したその夜、大地震に遭い宿屋が焼失した
ときに逃げ遅れて焼死している。
 この年の地震では、越後の松之山郷を含む頸城郡一帯
にもその被害のあったことが、他町村史に記されている。
 弘化四未年七月「乍恐以書附奉願上候」(会沢、小野島
家蔵)によると、この大地震被害者ヘ、水原村市嶋徳治郎
ほか六人、下条村市嶋治郎吉ほか一人、顕聖寺村石田孫
左衛門ほか一六人が御救御手当金を拠出しており、松之
山郷六六か村もその御救金の配布を受け、里方に引き比
ベて格別の痛みも受けず、被害の程度は銘々で取り繕い
ができるほどなので、今後の凶年のための永久備金に積
み立てさせてほしいと願い出ている。
 なお、同年七月の「奉差上御請証文之事」(小野島家)
では、金二〇〇両の金額が、松之山郷(北組、南組)ヘ下
賜されたことが分かる。
 地震は、ほかにもたびたびあったと思うが、その編年
史をつくるほどには資料を発見できない。上に紹介する
資料は天保二卯年「乍恐以書付奉願上候」(若井朝晴家)
にあるもので、文化十一子年十一月に地震があって難渋、
その後も不時、変難が続き、天保元寅年正月下旬は、近
年無類の大雪で民家が押しつぶされて大惨事だったと記
している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 349
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 長野
市区町村 松代【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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