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項目 内容
ID J2700156
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔大島村史〕H3・3・31大島村教育委員会編・発行
本文
[未校訂] 世に善光寺大地震といわれたのは弘化四未年三月二十
四日のことであった。大島村でも夜五ツ時激震に見舞わ
れた。被害状況も正確に把握しないうちに三月二十八日
届書が出ている。
乍恐以書付御届奉申上候
 当月二十四夜五ツ時過、大地震引続大小震不相止候処、
当村御制札場並口留御番所、御蔵所共無難ニ御座候得
共、村中家居之儀破損仕候得共、全ク潰候儀ニ者無御
座候間、地震穏止候上銘々取繕候ハハ住居難相成候程
之儀も有之間敷奉存候、勿論出火、怪我人等一切無御
座候、田畑、道橋、溜井堤用水路等一躰山崩ニ而破損
ニおよび候得共、追々村役人共見廻夫々手入取繕為致
候ハハ、御見分奉受候程之儀ニも御座有間敷哉、尤田
畑共仕付後少々者相成可申与奉存候、何分唯今ニおゐ
て者昼夜地震不得止事候ニ付、此上如何相成候哉難計
一同□痛罷有候、誠ニ以非常変難之儀、乍恐以書付御
届奉申上候 以上
頸城郡
弘化四未年三月二十八日 大嶋村百姓代利右衛門
川浦 与頭弥曽右衛門
御 役 所 庄屋助左衛門
(大島 村松二郎家蔵)
 弘化大地震の大島全域の被害は詳かでないが、右の資
料のように、各地域で家の小破や地割れ、山崩れがあっ
たことと思われる。松代町の出稼者でたまたま出稼ぎ帰
りに善光寺へ立ち寄り、旅宿で災難にあって圧死してい
る者もいる。
 同年五月「申渡」が頸城郡内代官支配地全村に配布さ
れている。それによると、頸城地方の村々に災害義援金
を拠出している者の名がある。蒲原郡水原村市嶋徳次郎
外五人、下条村市嶋次郎吉外一名の外、顕(浦川原)聖寺村石田源
左衛門においては自らも土蔵、居宅共大破にもかかわら
ず金子を差し出し、西浦(松之山町)田村彦大夫、浦(松之山町)田口村与惣治、
大島村弥曽右衛門、仁上村治郎右衛門など一六名の名を
挙げて、このような奇特の者の出資金を村々へ手当金と
して渡し置くが、かような援助を得られたことを百姓共
に周知徹底させるべし、かつまた、このことは百姓が相
続成り立つように取計らったことだが、つとに御公儀(幕
府)の御仁政の賜と思って、御年貢納め方に出精せよとあ
るが、天災人災に際しかかる恩着せがましいことが行わ
れる好例である。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 348
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 大島【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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