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項目 内容
ID J2700155
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1847/05/08
和暦 弘化四年三月二十四日
綱文 弘化四年三月二十四日(一八四七・五・八)〔北信・上越〕
書名 〔清里村史 上巻〕笠尾昊文編・執筆S58・11・1 清里村役場発行
本文
[未校訂] この弘化四年(一八四七)の大地震は信州川中島方面に
 震源地があり、折から善光寺の御開帳中であったので、
一般に善光寺大地震という。春から秋に及ぶ長期の震災
であった。
 中条村の被害は殊にはなはだしく、ほとんど全壊か、
かしがるかであった。ただ一軒甚蔵家だけ異状がなかっ
たので、御預所御役所の救援事務所にあてられた。これ
を会所と呼んだ。善光寺大地震のあと住家の新築が相つ
いだ。
 たび〳〵引用させていただく『僧浄日記』(藤巻澄然氏
蔵)によれば、この地震は三月二四日に始まり十月に及ん
だので、ある期間は戸外の竹林に小屋がけして住み生活
上の苦痛はヒドかった。専福寺の本堂が傾いたが、だれ
も入り手がなくて困っていたところ、酔って来た権右衛
門という人がズカズカ入って行って、ご本尊を遷し奉っ
たという。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 348
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 新潟
市区町村 清里【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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