[未校訂] この弘化四年(一八四七)の大地震は信州川中島方面に
震源地があり、折から善光寺の御開帳中であったので、
一般に善光寺大地震という。春から秋に及ぶ長期の震災
であった。
中条村の被害は殊にはなはだしく、ほとんど全壊か、
かしがるかであった。ただ一軒甚蔵家だけ異状がなかっ
たので、御預所御役所の救援事務所にあてられた。これ
を会所と呼んだ。善光寺大地震のあと住家の新築が相つ
いだ。
たび〳〵引用させていただく『僧浄日記』(藤巻澄然氏
蔵)によれば、この地震は三月二四日に始まり十月に及ん
だので、ある期間は戸外の竹林に小屋がけして住み生活
上の苦痛はヒドかった。専福寺の本堂が傾いたが、だれ
も入り手がなくて困っていたところ、酔って来た権右衛
門という人がズカズカ入って行って、ご本尊を遷し奉っ
たという。