[未校訂]江戸時代に高柳町に震源をもつ地震は起こ
地震
っていない。しかし、地震の影響による被
害は記録に二回ある。文政十一(一八二八)年の三条地震、
弘化四(一八四七)年の善光寺地震である。
岡田村の「歳時記」から三条地震の影響をみてみよう。
文政十一年十一月十二日、朝五ツ時大地震、何方に
ても少しづつ傷み、壁は皆落ち戸障子は折れたる家
あり、田畑共傷つかぬ処はなし、山沢のそこかしこ
崩れ、誠に気の毒千万の気色に相成候定、亦蒲原辺
はとりわけ大地震にて、長岡より新潟迄は大きに、
其の中、三条町は壱軒残らず打潰れ、死人の数も知
れず、五間四方の穴を掘って其の中に埋めたといふ
…。