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項目 内容
ID J2700103
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1828/12/18
和暦 文政十一年十一月十二日
綱文 文政十一年十一月十二日(一八二八・一二・一八)〔中越〕
書名 〔甲子夜話続篇 2〕松浦静山著中村幸彦・中野三敏校訂S57・10・1 平凡社
本文
[未校訂](巻二十一)
(注、「史料」第三巻二五八頁に省略されていた図と図中
の文章左の如し)
十一月十二日、同くあさ五ツ時より大地しんゆりいだし、
十四日迄三日のあいだ、ちうやゆりやまず。うみべどふ
り、いづもざき、八彦明神の山、大にくづれて、海の中
へおしいだし、同所三条まち、つばめ町、また東御門ぜ
き、みどう大門、のこらずゆりたおし、其外、田はた、
山川くずれこぼり、大地へあぶれいで、人馬けが人数し
れず。凡いへかず八千げん余たをれくずれ、牛馬三千余
も打ころされ、こゝんまれなる大地しん、そのあらまし
をこゝにうつしぬ。
(注、「史料」第三巻二六〇頁下7以下に入る文は本書131
頁上11以下と同文につき省略)
(注、「史料」第三巻二六五頁下3の次に入れる)
 されば天災にしては免れざる所なり。且これは人馬合
て怪我とも三千九百八十八。『四戦記』の所載を見るに、
天正三年五月廿一日長篠の条に、今日卯の刻に軍始り、
未の下刻に終る。徳川、織田両家の兵、首を獲ること一
万余級なりと。又『武家事記』の所載は、元和元年五月
七日、大阪夏御陣の首帳、諸手[分|ブン]合て一万三千六百八十
六、御旗本[分|ン]、二百九十二、〔二口〕合て一万三千九百七
十八級〔但し両記の文、馬の死亡、人の手負は載せず〕。
これは人事なり。されども天災に過ること、一は六千十
二、一は九千九百九十也。この一場の死亡は天にも勝れ
り。[懼|おそ]るべし、戒むべし。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 147
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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