[未校訂](巻二十一)
(注、「史料」第三巻二五八頁に省略されていた図と図中
の文章左の如し)
十一月十二日、同くあさ五ツ時より大地しんゆりいだし、
十四日迄三日のあいだ、ちうやゆりやまず。うみべどふ
り、いづもざき、八彦明神の山、大にくづれて、海の中
へおしいだし、同所三条まち、つばめ町、また東御門ぜ
き、みどう大門、のこらずゆりたおし、其外、田はた、
山川くずれこぼり、大地へあぶれいで、人馬けが人数し
れず。凡いへかず八千げん余たをれくずれ、牛馬三千余
も打ころされ、こゝんまれなる大地しん、そのあらまし
をこゝにうつしぬ。
(注、「史料」第三巻二六〇頁下7以下に入る文は本書131
頁上11以下と同文につき省略)
(注、「史料」第三巻二六五頁下3の次に入れる)
されば天災にしては免れざる所なり。且これは人馬合
て怪我とも三千九百八十八。『四戦記』の所載を見るに、
天正三年五月廿一日長篠の条に、今日卯の刻に軍始り、
未の下刻に終る。徳川、織田両家の兵、首を獲ること一
万余級なりと。又『武家事記』の所載は、元和元年五月
七日、大阪夏御陣の首帳、諸手[分|ブン]合て一万三千六百八十
六、御旗本[分|ン]、二百九十二、〔二口〕合て一万三千九百七
十八級〔但し両記の文、馬の死亡、人の手負は載せず〕。
これは人事なり。されども天災に過ること、一は六千十
二、一は九千九百九十也。この一場の死亡は天にも勝れ
り。[懼|おそ]るべし、戒むべし。