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項目 内容
ID J2700084
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔土佐清水市史 (上)〕○高知県S55・1・1 土佐清水市発行
本文
[未校訂]1、金剛福寺
 ほかにも〝浪切不動・海中岩石に弘法大師作三月塩干
の時人々墨で以形をうつす、宝永四年大変より不見と
『南路志』にあるが、これについては『寺院誌』に「……
幡多郡足摺山の遙ニ南海ニ岩あり岩の面ニ不動明王の立
像をきざむ弘法大師の作也毎年三月汐干ニ舟ニてわたり
墨紙を以てこれを押写す宝永四年丁亥の地震より以後ハ
如以前ニ岩の面浮き出ずこれに依て今世ハ木板ニうつ
し金剛福寺の本院より請之人々ニほどこす又当時ニ五字
三宝とて二枚あり護札なり弘法大師の筆跡ニて海上無難
の字也他国の舟人ハ聞つたへて信心す当国の舟のるハ知
るも知らぬもあり……」とある。足摺岬の突端より百余
メートル沖の暗礁である黄金碆が、この立像の刻まれた
岩とも言われる。
 金剛福寺にかかわる古代の考証をあげるとおよそ以上
のとおりであるが、〝寺領往昔ハ八千石・長宗我部時代ハ
三千石・慶長六年八月二十五日自明神様百石 今之寺
領也と『南路志』に記されているごとく、平安の昔よ
り朝廷・摂家の保護厚い寺院で、土佐国最大最高の格式
をもつ寺院であったと伝えられる。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 93
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 高知
市区町村 土佐清水【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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