[未校訂]1、金剛福寺
ほかにも〝浪切不動・海中岩石に弘法大師作三月塩干
の時人々墨で以形をうつす、宝永四年大変より不見と
『南路志』にあるが、これについては『寺院誌』に「……
幡多郡足摺山の遙ニ南海ニ岩あり岩の面ニ不動明王の立
像をきざむ弘法大師の作也毎年三月汐干ニ舟ニてわたり
墨紙を以てこれを押写す宝永四年丁亥の地震より以後ハ
如以前ニ岩の面浮き出ずこれに依て今世ハ木板ニうつ
し金剛福寺の本院より請之人々ニほどこす又当時ニ五字
三宝とて二枚あり護札なり弘法大師の筆跡ニて海上無難
の字也他国の舟人ハ聞つたへて信心す当国の舟のるハ知
るも知らぬもあり……」とある。足摺岬の突端より百余
メートル沖の暗礁である黄金碆が、この立像の刻まれた
岩とも言われる。
金剛福寺にかかわる古代の考証をあげるとおよそ以上
のとおりであるが、〝寺領往昔ハ八千石・長宗我部時代ハ
三千石・慶長六年八月二十五日自明神様百石 今之寺
領也と『南路志』に記されているごとく、平安の昔よ
り朝廷・摂家の保護厚い寺院で、土佐国最大最高の格式
をもつ寺院であったと伝えられる。