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項目 内容
ID J2700071
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔八幡浜市誌〕八幡浜市誌編纂会S62・3・31 八幡浜市発行
本文
[未校訂]一七〇七年一〇月五日「一、夜前今朝折々地震、汐も平
日より差引[繁|しげし]、六日一夜前今日ニ至ル迄折々地震汐差
引繁、七日、一地震汐同断:(中略)四日之地震は大阪
は地震津波の由、四国、中国[上方筋|かみがたすじ]も、一統の由:十
八日度々汐押シニ付浜手へ土手築セル、二十一日風雨
洪水其上地震」・「江戸も九月二三日より二六日まで、
震動強く其の上、砂降り余程積る由、一浅間山焼ケ候
由、足高山も焼候旨の風聞」があったと記しており、
浅間山の噴火、宝永山の出現を記している。(宝永の大
地震)
真網代の「二宮家系図」によると「(一七〇七)宝永四[丁亥|ひのとい]十月五
日昼四(十時)ツ時ヨリ大地震真網代ハ潮満干無ト[雖|いえども]八幡浜ハ八
幡神社神主居宅迄潮進ミ其後五十日小地震有テ前代未聞
ノ大変ナリ」と記している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 77
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村

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