Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2700053
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1707/10/28
和暦 宝永四年十月四日
綱文 宝永四年十月四日(一七〇七・一〇・二八)〔東海以西至九州〕
書名 〔大和国庶民記録堀内長玄覚書・井上次兵衛覚書〕平井良朋編H5・7・30 清文堂出版
本文
[未校訂](堀内長玄覚書)○曽我村(現橿原市)
一同(宝永)九(ママ)八年四年十月四日八ツ時分ゟ七ツ前迄、此大(ママ)地大地しん
ゆり、大地大波之打ことくニて、扨々おそろしき事、
諸方家々共おびたゝ敷こけ、大地ゟどろ吹出し、其時
諸人生たる心なく念仏ばかりと(な脱カ)ふる事ニ候、依之人々
我家を出、外へかり屋立、十日ばかりも外かり屋ニて
夜明シ候、此方共も十月ニはとや市兵衛と申人のうら
成畑ニかり屋立、母様と兄弟子共と下女と注(住)居致シ、親
仁様ハ此家番留主居ニ下男共と昼夜共村方火廻り等之
御世話被成候て、おそろしき事筆ニ盡されず候、此時
高田御坊こけ候事、
(井上次兵衛覚書)○宇陀郡長野村(現曽爾村長野)
○宝永四年十月亥四日、大地震、厳岩山木民家損事多、
大地われさくるなり、未ノ時ゟ半時斗、其ゟ年ヲ越ゆ
りやまず、附リ、駿河国ふじ山穴明、毎日焼事近辺ニ砂
ふる、天下高金弐匁づゝ掛る、是ハ砂□□ウツモル□
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 54
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 奈良
市区町村

検索時間: 0.001秒