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項目 内容
ID J2700020
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔南関東〕
書名 〔大原町史 通史編〕大原町史編さん委員会H5・3・31 大原町
本文
[未校訂]大原地区に残存する史料は前述のように非常に少ない
が、照願寺過去帳と海蔵寺過去帳の二点に記載があるの
で全文を紹介する。
「元禄十六年未十一月廿三日ニ小浜浦大津波ニ而死去ノ
人数番帳之通記之者(戒名略、以下同じ)元禄十六癸未十一月
佐野太兵衛夫婦、(以下年月略)泉州亦左衛門、泉州亦左衛
門子、同人弟、浦中九右衛門、同人子息、失(矢カ)指戸
甚兵衛子、縄舟太兵衛、西川宗右衛門子息、一ツ松藤
地喜兵衛事、縄舟五良兵衛子、一松弥兵衛、一松伊左
衛門、同人娘、同
人孫、一松伊左衛
門娘、同人息女、
泉州恩田治良兵衛
子、塩田長左衛門、
塩田彦四郎、古所
市右衛門、同人姉、
岩舟小兵衛家来、
一松安兵衛、同人
子息、布施三重良
父、新場言説ニ而往
生、縄舟作右衛門
子、九十九里善右
衛門、同人家来治
良助、岩舟助太夫、泉州亦左衛門(前出戒名も同じ誤記か)、同
人子息(同前)、同弟(同前)、九十九里左治兵衛
是迄津波人数之法名俗名古帳之通記者也」
(新場 照願寺過去帳より抜粋)
 ここに記された三四人の内同一人と思われる三人を除
くと三一人の死者が知られる。注目されるのは、泉州四
人、一つ松九人、九十九里二人と、半数が遠隔地の出身
者である。当地における鰯漁・干鰯の生産のあり方を反
映したものであるといえる。また、犠牲者の多くが家族
単位であることは、津波が起きたのが深夜であったため、
海岸近くの居住者が逃げる間もなく津波に巻き込まれた
ことを示すものであろう。一方、日在海蔵寺の過去帳は、
 「元禄十六未十一月津波ニテ死ス、(以下戒名略)宮前
奥右衛門、助作女房、助作子、半治良兄、治兵衛女房、
治兵衛、南長左衛門、半助、助作母、小右衛門女房、
半右衛門子、南庄左衛門女房、久右衛門子、久左衛門
娘」
(日在『海蔵寺過去帳』 新田坂水寺所蔵文書)
 ここでも一四人の犠牲者を知ることが出来、そのうち
八人は戒名から見て女性と幼児である。以上限られた史
料であるが、これをもって当地方における地震と津波の
被害の大きさを知ることが出来るであろう。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 18
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 千葉
市区町村 大原【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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