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項目 内容
ID J2700021
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1703/12/31
和暦 元禄十六年十一月二十三日
綱文 元禄十六年十一月二十三日(一七〇三・一二・三一)〔南関東〕
書名 〔丸山町史〕丸山町史編集委員会H1・3・30 丸山町
本文
[未校訂] 本町に於ける被害については、『史料集』文書六〇 に
沓見村上組の被害状況が記録されており、六八軒中内藤
家一軒を残して六七軒が潰れ、死者も三九四人の中九人
は「相果申候」とある。家畜についても馬一九疋の中七
疋、牛二五疋の中八疋が圧死し、田畑や溜池にも大被害
を蒙り、販売のために浜へ搬出して積んでおいた薪が五
百~六百束も覆ってしまったような状態で、年貢等にも
困り生活上重大な影響を受けたと、生々しい地震の爪跡
津波よけとして築かれた土手(渋田「殿山」地先)
を残したように伝えている。また、土地の隆起に関して
は、元禄地震後四四年の延享四年(一七四七)に、鋸南町
元名村の古文書「乍恐口上を以て御願申上候」に、丸山
川河口の海発附近で元禄汀線を五・三八メートルも隆起
があったとする説もある。(松田時彦・太田陽子氏等)
 しかし、『大日本地震史料』には「千倉と申す浦辺より
平郡・安房郡浦方……」と、大きな隆起地域の分布を限
定し、丸山川下流より北部での隆起の有無には触れてい
ない。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺 別巻
ページ 19
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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