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項目 内容
ID J2601955
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1964/06/16
和暦 昭和三十九年六月十六日
綱文 昭和三十九年六月十六日(一九六四)〔新潟・山形県〕
書名 〔南陽市史 下巻〕○山形県 南陽市史編さん委員会H4・3・30 南陽市発行
本文
[未校訂]新潟地震
「昭和三十九年六月十三日午後一時二
分!この日、この時、私たちは天災の
おそろしさを、初めて五体のすみずみに感じとった」と
「町報あかゆ」(昭和三十九年七月十日発行)は新潟地震
(新潟・酒田を中心に東北地方を襲った大地震)の恐ろし
さを記している。内陸の盆地に強い地震は絶対おこらな
いと、なかば信じていたところへ震度5の強震が襲った
のである。ぐらぐら揺れる大地、湧き返る水田、ガラス
窓の破壊、土蔵の壁土の落下、地盤の悪い赤湯大谷地近
辺では、人は立っていることができず地面に伏したほど
であった。「町報あかゆ」によると、赤湯地区の被害は、
全壊家屋二戸、半壊家屋七戸、一部破壊家屋五六〇戸で
あった。さいわい怪我人や火災発生もなく済んだ。急激
に襲った地震は、自治体としての防災総合計画の早急完
成を促し、また「町報あかゆ」を通じて、非常事態時の
電気器具の取扱い、切れた電線への注意事項などが東北
電力会社から示された。
 「町報みやうち」(昭和三十九年六月三十日)には、新
潟地震による各家庭の被害額が一七七〇万五〇〇〇円に
のぼったと伝えている。また新潟・酒田・鶴岡などの被
災地へ金山小学校児童、菖蒲沢婦人会、宮内町傷い軍人
会などが義援金を寄せていることを報じている。記事の
中に金山小学校の児童代表が、山口孝一教育長に義援金
をさしだしている写真と地震で倒壊した宮内熊野大社、
鏡池の石灯篭の写真が添えられている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 461
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 南陽【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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