[未校訂]新潟地震
「昭和三十九年六月十三日午後一時二
分!この日、この時、私たちは天災の
おそろしさを、初めて五体のすみずみに感じとった」と
「町報あかゆ」(昭和三十九年七月十日発行)は新潟地震
(新潟・酒田を中心に東北地方を襲った大地震)の恐ろし
さを記している。内陸の盆地に強い地震は絶対おこらな
いと、なかば信じていたところへ震度5の強震が襲った
のである。ぐらぐら揺れる大地、湧き返る水田、ガラス
窓の破壊、土蔵の壁土の落下、地盤の悪い赤湯大谷地近
辺では、人は立っていることができず地面に伏したほど
であった。「町報あかゆ」によると、赤湯地区の被害は、
全壊家屋二戸、半壊家屋七戸、一部破壊家屋五六〇戸で
あった。さいわい怪我人や火災発生もなく済んだ。急激
に襲った地震は、自治体としての防災総合計画の早急完
成を促し、また「町報あかゆ」を通じて、非常事態時の
電気器具の取扱い、切れた電線への注意事項などが東北
電力会社から示された。
「町報みやうち」(昭和三十九年六月三十日)には、新
潟地震による各家庭の被害額が一七七〇万五〇〇〇円に
のぼったと伝えている。また新潟・酒田・鶴岡などの被
災地へ金山小学校児童、菖蒲沢婦人会、宮内町傷い軍人
会などが義援金を寄せていることを報じている。記事の
中に金山小学校の児童代表が、山口孝一教育長に義援金
をさしだしている写真と地震で倒壊した宮内熊野大社、
鏡池の石灯篭の写真が添えられている。