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項目 内容
ID J2601014
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1833/12/07
和暦 天保四年十月二十六日
綱文 天保四年十月二十六日(一八三三・一二・七)〔両羽・越後〕
書名 〔俊親日記〕○米沢領鮎貝(現山形県白鷹町)
本文
[未校訂] 二十六日 雨風 七ツ時大地震、夫より夜中迄ニ数度
ゆり 休日ニ付在宅。煙草のし致候。昼前岩沢同役被参
候。昨日之御意ニ御家中難渋之者此節働事無之銭取不被
致候者は愛宕山之柴伐為致可申、代八十文ツ被成下可然
由也。相談致候様被思召候旨被申聞候。御尤之御事何茂
江申達可然也。昼後七ツ時金左衛門参候。御蔵江罷出候
得共米一切済寄不申咄ニ参候内ニ大地震ゆるき誠ニ家小
屋をむくる様ニ覚、皆人々外江逃出候。我等早速御機嫌
伺ニ罷出候。御前奉始御方々様逃出給ひて外江被為出候。
御土蔵四方大破、其外町方之土蔵共大破致候由、桂や之
土蔵表之方壁大落し、二・、伊セや、〈七皆々そんし候由、
夜中利右衛門参咄候。夜中迄ニ少々宛数度ゆり申候。誠
ニ前代未聞之大地震也。
 二十七日 曇小雨少々 御用前出勤。昨日の大地震ニ
付御土蔵そんし候処破損、斎藤氏罷出候。立木宇之助、
小八両人ニ而くしまるき為致候。終日在宅煙草のし致候。
夜中利右衛門参候。荒砥之問屋佐与次鹿嶋屋之蔵昨日之地
震ニ而むくれ候由咄候。誠ニ大変之事ニ候。今日栃窪口
御番所交代真嶋円蔵代佐藤良助罷越候由、我々宅江茂届
申聞候。小者壱人召連入来候。袴羽織ニ而。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 262
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 山形
市区町村 鮎貝【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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