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項目 内容
ID J2600509
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1741/08/28
和暦 寛保元年七月十八日
綱文 寛保元年七月十八日(一七四一・八・二八)〔津軽・江差〕
書名 〔舞鶴市史・通史編(上)〕舞鶴市史編さん委員会H5・3・20 舞鶴市役所
本文
[未校訂]津波 地震によると思われる津波の記録が一件ある。
 寛保元年(一七四一)酉ノ七月十九日小橋村 野原村
高浪痛家八拾軒内弐拾八軒ハ潰家依之ニ小屋かけ材木
相願御公儀より願之通ニ被遣候縄四百二十束藁五千六
百束ハ大庄や八組割ニ被仰付候 世間ニたとへ申様ニハ
津浪と申候俄ニ出来申し浪差而大風も吹不申ニ出来申
波ニ而候
(「金村家文書」)
七月十九日大(大丹生)入村近所五ケ村津波打
(「田村家文書」)
 同日、[蝦夷|えぞ]松前領に大津波、死者一、四六七人、流失
家屋七二九戸に及んだ(「年表日本歴史」筑摩書房)とあ
り、日本海沿岸地方に大きな被害があったものと思われ
る。当時、このことを記録した人は、津波の起因を大風
も吹かないのに、にわかにできる波としている。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 118
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 京都
市区町村 舞鶴【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

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