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項目 内容
ID J2600055
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1614/11/26
和暦 慶長十九年十月二十五日
綱文 慶長十九年十月二十五日(一六一四・一一・二六)〔越後高田・伊予〕
書名 〔東予市誌〕東予市史編纂さん委員会S62・10・1 東予市発行
本文
[未校訂](3) 慶長十九年(一六一四)の地震と津波
 『多賀村郷土誌』の厳島神社の項に「御津屋は豊公四
国平均のママ頃大革命有りて北条村より分村す。此地[丹生川|にゅうがわ]
保に隣り、人家多き所なるも、慶長十九年十月二十五日、
大震災のとき、海上荒れて大波打来り、田畑及人家流失、
人死多く其跡荒果てたるを領主加藤嘉明の命に依って奉
行徳本三郎兵衛開墾す。又寛永二年(一六二五)三月十
八日、再度震災ありたるも、人家も追々に出来、回復し
て今は三津屋と呼ぶ。」とある。
 これは、北条川の河口近くに古三津屋と呼ぶホノギが
あるが、そこに元の三津屋部落があって、地震と津波で
壊滅したので、西方の土地の高い現在地に移転したこと
を物語るのではないだろうか。また、この地震で道後温
泉の湧出が止まったことを『松山[叢|そう]談』『伊予温故録』
は記している。
出典 日本の歴史地震史料 拾遺
ページ 29
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 愛媛
市区町村

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