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項目 内容
ID J2500788
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1858/04/09
和暦 安政五年二月二十六日
綱文 安政五年二月二十六日(一八五八・四・九)〔飛驒・越中・加賀・越前〕
書名 〔砺波市史 資料編2 近世〕H3・3・30砺波市史編纂委員会
本文
[未校訂](五嶋家吉凶帳)○富山県富山市田中町
○安政大地震
安政五年二月廿五日夜九ツ半頃地震致、四半時ばかりふり
申候、すは地震といふより仏様巻とり、背戸へ出様子伺
候処、震動する事おびたゞ敷、今にも打倒され可申哉と
恐入、夜明頃迄背戸に有内二、三度もゆり申候、夜明て
見分致候処、二階さまの子障子はづれ、塗揚戸前少々つ
き出し申候、町方ニ而ハ御宮石垣六尺程崩れ、其外石燈
籠倒れ、酒屋酒桶少々こぼれ紺屋藍瓶もこぼれ候由、今
石動ハ家拾五軒計つぶれ、町中割れ其中より水をふき出
し申候由、城端は石動より一倍強き様子、高岡・大門・
八尾抔大変、御城下左程無之由、御郡ニ而ハ井波蔵々相
開候由、福光・福野・杉木・戸出・中田五ヶ所ハ左程ニ
無之、放生津ハ六尺計沈み申候家拾二軒有之、海の水沖
へ引き候ニ付、津波来り可申哉と心の休まるひまも無之
様子追々相知れ、誠に大変至極之事に候
同年七月廿日夜九ツ過、大きなる地震致、一統驚申候、
又候常願寺川止り候由専ラ沙汰致申候
○常願寺川河原に怪物
一、此度大地震ニ付、立山数ヶ所山抜ケ、常願寺川筋岡田
村等ニ河原之中ニ四月廿七日昼四つ時此かたちの者十二
三人斗り相見へ申由、風聞ニ御座候
長三尺斗、色合赤きもの、目の光り金色ニ御座候
(安政三「諸品吉凶異変公事自他雑記」其二)
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 1220
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 富山
市区町村 砺波【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

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