Logo地震史料集テキストデータベース

西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。

前IDの記事 次IDの記事

項目 内容
ID J2500723
西暦(綱文)
(グレゴリオ暦)
1855/11/11
和暦 安政二年十月二日
綱文 安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕
書名 〔小林市史第一巻〕○宮崎県小林市史編纂委員会S40・3・21 小林市長
本文
[未校訂]安政元年
一、異国船警備として四十八人を徴集され、高原より黒木
尚斉・瀬戸口右八郎・島集庄之助の三人が徴され、六月
三日出立同十一日鹿児島出発、上京の途に上った。この
ときの小林方の氏名は不明である。
この中黒木尚斉は安政二年十月二日の江戸大地震で圧死
した。(高原郷土史)
安政二年
一、十月二日江戸大地震。大小名の居館や寺院、町店など
数万軒が焼失して焦土と化し、貴賤数万人の死亡者まで
でた。
このとき倒壊家屋十一万四千四百六十軒、大名屋敷四百
軒余。旗本八万五千八百、寺社六千二百死人十一万八千
六百余、負傷者三十二万六百人。(高橋郷土史)
このとき景敏の宿所桜田藩邸も焼失した。景敏は幸い無
事であった。同十七日藩主より一同に対し二度の御馳走
を施された。また各人金子参両宛急救の費用に支給され
た。景敏などは芝の藩邸に移った。江戸在勤の期満満ち
て翌安政三年十月二十八日江戸芝藩邸を立ち同十二月二
十日小林に帰着した。(伊福系図)
Ⅲ諸藩
出典 新収日本地震史料 続補遺 別巻
ページ 1077
備考 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
都道府県 宮崎
市区町村 小林【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる

版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)

IIIF Curation Viewerで開く
地震研究所特別資料データベースのコレクションで見る

検索時間: 0.001秒