西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
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項目 |
内容 |
ID |
J2500665 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1855/11/11
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和暦 |
安政二年十月二日 |
綱文 |
安政二年十月二日(一八五五・一一・一一)〔江戸及び近郊〕 |
書名 |
〔成田市史近世編史料集五下門前町Ⅱ〕成田市史編さん委員会編S55・3成田市発行
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本文 |
[未校訂] 十月二日夜四ツ時(午後十時)、江戸を震源地として前 代未聞の大地震が起きた。安政の江戸大地震である。この 地震によって江戸は甚大な被害をこうむり、佐倉藩の江戸 上屋敷も崩壊の上炎上した。成田村近辺でもこの地震の影 響によって被害がでている。印旛郡中川村(現印旛郡酒々 井町)では、山崩れのために子供二人と母親が、相馬郡布 佐村(現我孫子市)では土蔵が崩れて四人がそれぞれ亡く なっている。成田村の田町では、十六軒が破損し、蔵も残 らず被害を受けるという有様である。ちなみに、この時幕 府に提出した被害届によると、成田村の家数一八一軒のう ち七軒が皆潰家、十二軒が大破損であった(大野政治氏 『近世成田地方に於ける災害の記録』成田史談一八号、昭 四七)。 未曾有の被害を出した江戸大地震の余震が続く中で、佐 倉藩主堀田正睦は、十月九日に外国事務取扱老中に任命さ れ、その通知が十日に藩から届いた。
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出典 |
新収日本地震史料 続補遺 別巻 |
ページ |
1016 |
備考 |
本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。
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都道府県 |
千葉
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市区町村 |
成田【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる
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版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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