[未校訂] 安政二卯年(十五歳)十月二日、江戸大地震あり。其時
僧正の跡につき地震口より広庭へ飛出し、芝山の上にて数
回のゆり返し亦おそろしく思ひ、其夜を芝山にて明かした
り。されども家屋堅固なれば破損多からざる故、左程の苦
難もなかりしが、江戸中所々に火事起り、既に自宅も火の
中なる由聞といへども、奉公の身詮方なく、母姉兄の安否
を案じ居候処、使番の中間帰り来り、自宅を見舞呉候処、
皆々無難、家宅も未だ焼失に至らず、との報を得て少しく
心を安じたり。されども翌朝に至り尻火の為に土蔵並居間・
台所を焼き、座敷及貸家の方残りし由又聞たるに付、暇を
乞ひ見舞たるに、三方火の中にて自宅は半焼、地借は無難
ゆへ、不幸中の幸ひなり。殊に同家安(伯父)之進箱館表において
死去せしに付、家族の者翌三日自宅え帰着の報ありし故、
残りたる家を急ぎ繕ひ、亡安之進後妻よね・娘かん(十一
歳)・こう(九歳)・音吉郎(四歳)の四人無事着、同居
せしに付、其混雑一方ならざる由なれ共、予は勤の身故察
し居る而已なり。此地震の為に潰れ家、又は焼失等夥し。
江戸中にて凡十万人も死せりと云へり。