[未校訂](永代万控帳 抄)○那賀郡粉河町北志野村
嘉永七寅年十一月四日ゟ翌年卯正月時分ニもやはりやみ
不申。此所之事。
一大地震、誠ニ百年ニも無之珍敷大じしんニ付驚入申候。
十一月四日朝五ツ過ゆり初誠ニ大事也。紺屋之あ(藍壼)い坪抔
者口三、四寸位切有之候処、大ニゆり出、坪屋も庭も流
レ候ニ付、仕事処ニ而者無御座候。坪之水も[小|シャウ]用所も口
五寸位も切て有りても大ニゆり出流候程之事。又五日七
ツ半頃前、四日五ツ過之地震ゟも又々大事。中々家之内
ニ居る物(者)壱人も無御座候。不残そとへ逃出申候。夫ニ付
家々之かどへ小屋を立用意致申候。然処右五日夜両三度
も大ニゆり候ニ付、四、五日程ハ家内右小屋へ行住居致
し、昼ハ内ニゆらん間ニ者居候得ども、ゆり出し候得者
直ニ右小屋へ行、夜分ハ勿論段々かる成候得共、節季中
又しても〳〵ゆり、誠ニ[生来|ムマシキ]ていきたるかいも無之位ノ
事ニ心配致申候。卯正月時分も五日之地震抔ハ大分之事
ニ御座候。