[未校訂] 津波地蔵、もと荒坂小学校講堂の後にあり。安政の津波
当時、地震後津波が来るまでに、ごはんを炊くほどの時間
があった。
昭和十九年東南海地震の津波の二木島の死者は四人で、
このときは地震後10分であった。まず引いて海底が見え、
すぐ上ってきた。美福屋旅館2階の棟まで浸水した。
西暦、綱文、書名から同じものの一覧にリンクします。
項目 | 内容 |
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ID | J2500491 |
西暦(綱文) (グレゴリオ暦) |
1854/12/23 |
和暦 | 嘉永七年十一月四日 |
綱文 | 安政元年十一月四日(一八五四・一二・二三、二四、二六)〔関東~九州〕 |
書名 | 〔畑名 均氏口述〕○熊野市二木島 |
本文 |
[未校訂] 津波地蔵、もと荒坂小学校講堂の後にあり。安政の津波
当時、地震後津波が来るまでに、ごはんを炊くほどの時間 があった。 昭和十九年東南海地震の津波の二木島の死者は四人で、 このときは地震後10分であった。まず引いて海底が見え、 すぐ上ってきた。美福屋旅館2階の棟まで浸水した。 |
出典 | 新収日本地震史料 続補遺 別巻 |
ページ | 684 |
備考 | 本文欄に[未校訂]が付されているものは、史料集を高精度OCRで等でテキスト化した結果であり、研究者による校訂を経ていないテキストです。信頼性の低い史料や記述が含まれている場合があります。 |
都道府県 | 三重 |
市区町村 | 熊野【参考】歴史的行政区域データセットβ版でみる |
版面画像(東京大学地震研究所図書室所蔵)
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